常識の目でジャッジしないこと

今まで、よくやってしまっていた、
エネルギーを下げる行為があります。

それは自分の行動への迷いやジャッジ。

「こんなことを始めて良いんだろうか?」

「こんなことをして良かったんだろうか?」

私は好奇心が旺盛で、
どう考えても直感型なのですが、

超心配性だったことや、
自分の体に自信がなかったことが相まって、

アクセルとブレーキを同時に踏むことが
たくさんありました。

閃いても、行動までに迷いが生じ、
やってみても、
「やっぱりこんなことはやめよう」
とか言って取りやめてしまう。

結構これをいつもやってたんです。

しかしよく考えてみてみます。

私の行動を監視している人が
どこかにいるのでしょうか

神様だったら
いつも観てくれているとは思いますが、
チェックしている項目と言えば、

『私の行動が、私自身と人様を、
本当の意味で喜ばせるものであるか』

という部分だと思うんです。

それなのに私としたら、

『常識や、
社会的普通から外れていないか』
というジャッジを、
結構長いことし続けていたことに
気がつきました。

自分でとても意外でした。

何で意外かと言いますと、

小さい頃から、人と同じことをするのが
大嫌いだったからです。

それなのに周りの目を気にするという
この大きな矛盾。

私に誰かが直接、
「それはいけないよ」と逐一
言いにきたことがありますかな?

実際行動したことに対しては、
「間違えた〜!」とわかったり、
「しまった!失敗した!」
となることは多々あるので、
そういう意味で周りから
「それはあかんかったんちゃうか?」
と言ってもらえることはあるんですがね。

それとは別で、
やる前にぐだぐだ考えすぎたり、
やった後に勝手に
怖くなってしまうことです。

自分の心を軽くしていくためには、
伸び伸びと生きていくためには、

自分自身の中で生じている
こう言った「矛盾」を無くしていくことは
とっても大事ですね。

ただ不思議と、音楽を作る時だけは、
自分の選択をジャッジしたり、
周りに合わせたりはしてきませんでした。

自分の感覚を頼りにするだけ。
それが何にも縛られていなくて、
誰とも比べなくて、
とても自由な作業でした。

これは後々実感したのですけど、
本当に心の救いの場になっていました。

ただ、音楽以外の場所で、
自分の閃きや気持ちを大事にできなくて、
迷いや後悔のストレスを生み、
ダメージを受ける。
それによって、音楽の作業に向ける
エネルギーがなくなるという
支障は多々あったわけで。

音楽作りをモリモリとやりたければ、
日頃からの心のケアや持ち用、
自分にかけてあげる言葉の選択も
とても大事だと思います。

そういうことが、
現実を創っていると思いますから。

もっと閃きに自身を持とう。
それをまっとうする勇気を出そう!

完成は年末。
4か月でできるのかい?

いや、4ヶ月でやりたいです。

そのためにはどうしたらいいだろう?

やりたいから、工夫したいのです。

作業の面でも、
精神面でも、工夫していくことが
きっとできるのです✊😊

むひひエビタ